整えるという生き方

整えるという生き方

1.風の記憶

私は北海道で生まれた。

頬をなでる風の中に、冷たさだけではない、わずかなぬくもりを感じていた。
その微かな差異を感じ取ろうとする感覚は、今も私の中に残っている。

見えるものではなく、見えないものに注意を向ける。


2.人に導かれて

人生には、後になって意味を持つ出会いがある。

坂部正登 思考の厳しさと深さを教えた人。
高木達也 構想を現実へと接続する力を示した人。
中島利郎 分断されたものを統合する視点を与えた人。

彼らの言葉は、記憶としてではなく、思考の働きそのものとして残っている。


3.システムという視座と方法

私の思考の底流には、三人の思想家がいる。

川喜田二郎
P・F・ドラッカー
ピーター・センゲ


この三人は、単なる知識としてではなく、(従来のテーラー主義、あるいは大テーラー主義とは異なる視点として)私の中で一つの思考体系として結びついている。

ドラッカーは、全体を見よと教えた。
部分の最適化ではなく、全体の調和。

センゲは、関係性の中で学べと説いた。
固定された答えではなく、変化する構造の中での理解。

そして川喜田二郎は、その「全体」や「関係」を、どのように立ち上げるかを示した。
KJ法とは、単なる整理術ではない。
それは、断片から出発する思考である。
現場にある無数の事実、言葉、感覚。
それらを一つひとつ丁寧に扱い、並べ、近づけ、関係を見出す。


やがて、それらはまとまりを持ち、構造として立ち上がる。
ここに、私の中で一つの連関が生まれた。

ドラッカーは「全体」を示し、センゲは「関係」を示し、川喜田は「生成のプロセス」を示した。
システム思考は、抽象に傾きやすい。
だがKJ法は、それを地上に引き戻す。
手で触れられる断片から、構造を立ち上げる。
その往復運動の中で、思考は初めて現実に根を下ろす。

私にとってシステム思考とは、理論ではない。
観察し、並べ、関係を見出し、そして再び全体へと立ち返る。

その繰り返しの営みである。


4.「アガペー」という静かな中心

旧友の 岩崎真一 は、私に一つの言葉を残した。
アガペー」

見返りを求めない愛。
条件に依存しない関係。
それは、強くはない。
だが、消えにくい。
静かに在り続ける。

この感覚は、システムとしての関係性にも似ている。
無理に制御しない。押し付けない。

ただ、関係の中に余白を残す。
その余白の中に、「アガペー」は宿る。


5.出来事のあとで

時は流れ、身体は変化していった。

ある出来事を境に、私は自分の身体と向き合うようになった。
以前の均衡は崩れた。
しかし同時に、新しい均衡を探す営みが始まった。

それは、思考の営み」と同じであった。

6.整える

整える。

それは、制御することではない。
乱れを排除するのではなく、関係を見直し、均衡を回復すること。
身体も、思考も、関係も、すべては一つのシステムである。

その中で、無理なく調和を見つけていく。


7.小さな平和

平和とは、大きな状態ではない。
小さな均衡の連続である。

整えられた呼吸。
無理のない動き。
穏やかな関係。

そして、見返りを求めないつながり。
そこに、「アガペー」は静かに息づいている。


8.歩みのかたち

これからも私は、劇的な変化を求めない。
ただ、観察し、断片を扱い、関係を見出し、全体へと戻る。

川喜田の方法で、坂部の方法で、「現場に立ち」
ドラッカーの視野で、「全体を捉え」
センゲの姿勢で、「学び続ける」

そして、整えられた関係の中で、静かに生きていく。

それが、「私の歩み」である。
次は、図解的に「KJ法→システム思考の流れ」を。

三谷 徹男

AIイラスト化(プロフィール画像)
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