プロローグ:『ゲバ長谷』は、元気だろうか?
まる顔だが、目がギョロリとして怖い顔だから、殆ど個人的に話したことはない。
その彼が、卒業間際に私の下宿に来て、大学に残れと言う。
今しばらく残って後輩の面倒を見てくれと言うのである。
僅かに困ったが、それははっきりと断った。
と言っても、卒業間際なのに就職先が決まっているわけではない。
いや、頭の片隅に、親父の後を継ごうという下心があったのだ。
(この辺は別に書こうと思うので、今回は割愛する。)
話しを戻そう。
私が、大学に憎悪似た反目を持つのは、あの時の、模造紙の、扱い方なのだ。
あの時は、ゼンキョウトウにまだ親しんでいない時期だ。
通路の壁画に、人目を偲んで、模造紙を貼ったのだ。
勇気を出して貼った。
よくよく見れば、くさび形の文字もなく赤文字もない。
あんなに大きいと思えた模造紙は、小さく、黒一色の素人。
小学生の書初めのような、何とも弱々しいものだった。
それを警備中?の学ランを着た大柄な一人の男。
一瞥して、直ぐに破り捨てたのである。
その早いこと、早いこと。
それが田中(ずーと後の理事長)さんを知るきっかけだった。
模造紙に何を書いたか忘れたが、古い言葉を持ち出せば『義憤』だ。
19歳の少年の義憤だったと思う。
卒業して間も無く、ゲバ長谷の親父が死んだ。
旧全共闘のメンバーが集まり、葬送したと聞く。
エピローグ :暫く前、地元の同窓会。
田中氏が来賓でお見えになると聞いて、私も出席。
冒頭の挨拶の時、何と何と、『団塊の世代をダンコン』と言い間違えたのだ。
いやー恥ずかしい思いをした。
私だけではあるまい。
日大に 教育を取り戻す。
信頼を取り戻す。
関係者は利権に惑うなく、真っ直ぐに生きよ。
あと50年頑張れ!
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